Deformity Angel Exxxx.
-Revised edition-

畸 形 天 使 の 抽 出 液
【改訂版】




病んだ天使のトリック。

骨董店での幻想譚。



2002-2003年、小規模ペーパーでローカルに連載してい
た『エキス』の改訂版です。

閉じた世界。
マイノリティの極。
ペダンチックで滑稽な天使のエキス。





Copyright (C)2002-2011 黒兎 All rights reserved.

 ‥†Chapter ‥    
 @.







「笑う月」







 今日はどうしても、君に聞いて貰わなくちゃならないことがあるんです。
 昨晩、といってももう明け方近く、午前四時頃のことでした。 私は所用で外出していたのですが、その帰途、信じられないほど幻想的な景色を目にしたのですよ。
 何だったと思いますか? 
 他でもない、それは下弦の三日月でした。
 けれども、酷くくすんで、汚れたように濁った、陰惨な橙の月なのです。
 書き割の空に吊るされた張り子の月−−、
 そんな錯覚を起こす程、それは夜明け前の仄暗い空に、不自然な色と形で浮かんでいました。
 形といいますのは、ほら。 三日月のカリカチュアは、その殆どが「ニタリ」と歪に笑った横顔をしていますでしょう?
 欠け際のクレーターの影が、ちょうど、窪んだ眼と高く反った鼻、 裂けた口、それから尖った顎になって、 あの見覚えのある横顔を、そっくり形造っていたのです。
 どうしてこれまで気付かなかったのでしょう。
 戯画でしかないと思っていたものが、現実の月の姿でもあったのだと、 私は初めて知ったのでした。

 月の光は、人を狂わせるといいます。
 狂躁的な人を、ルナティックとか、ルナシィとか形容しますでしょう。
 昨夜のあの月は、幻想そのものでした。
 赤い月の幻想に捕われた私は、月と一緒に、 自分までジオラマの中の人形になったような気がしたからでしょうか。
 暫く眺めているうち、急に悲しくなって、眼の前がぼやけました。 けれども、それがどうしてそんなにも悲しいのだか、 自分でもさっぱり判らないものですから、 今度は不意に可笑しくなって、思わず笑ってしまいました。
 そんな時、思うのです。 どんなに深い悲哀に暮れる時も、暗い不安に駆られる時も、 こうして私の精神は頑強に保たれて、決して壊れることはないのだと。 結晶の様にどこまでも整然とした、この理性が狂うことはないのだと。
 けれども、狂人はそもそも狂っているのだから、 まさか自分を狂人とは思わない。己の正気を微塵も疑わぬ者の正気ほど疑わしいものはないでしょう。
 嗚呼、けれども。
 こんなことを考える私ほど正常な精神を持つ人間が、ねえ、君。他にいるでしょうか?
 苦痛の堪え難い夜、私は自分の正気を呪わしくさえ思うのです。


 こうして聞いているのを知ってか知らずか、S主人は、度々ぼくを相手に独りごちる。
 暗色の上下服にひょろ長い躯を包み、小作りの銀縁の眼鏡を掛けている。 かすかに艶のある白い皮膚は、動きに合わせて、 時折深い皺が寄る。 けれど場面によって不思議に変化する表情のせいか、 実際の年齢は、さっぱり見当がつかない。
 日中は薄日の差す店内で、疎らな客の相手や、骨董品の手入れ、 帳簿の記入など、店主としての務めに余念がない。

 カラン、カラン。
 扉の鈴を鳴らして、ようやく今日一人目の客がやって来た。
 主人は姿勢を正し、慇懃な態度で出迎える。
 その顔に、月光のような淡い笑みが浮かんでいる。
 主人はぼくの両脇を抱えると、レジスターの台から持ち上げた。
 そうして陳列棚の隅の、骨董の洋燈の隣へ置いた。

 赤いリボンを巻かれた、ぼくは黒兎のヌイグルミ。 


@.

   A.







S主人の独白 −「鬼と桜」







 桜の頃となると、決まって雨足が近くなり、満開を待つまでもなく、花弁は雨に打たれ、惨めに地面に朽ちゆくのでした。私の故郷での春の記憶は、思い起こせば、そんな陰鬱な景色ばかりです。
 そして花の盛りも過ぎる頃になると、漸く春らしい陽気が照るのですが、麗らかな陽射しの中、雨土に汚された、無数の花弁の屍体が張り付く、灰がかった淡色の地面を見るのは、またこの上もなく、憂鬱なものでした。
 よしんば花咲いたとしても、その背景には常に曇天が広がり、その為か否か、花の色艶も薄く、どう仰いでも、冴えた眺めとは言えないのでした。
 故郷の桜には、あの、桜に特有の、妖艶な美しさがありませんでした。

 桜の樹は、土地の穢れた空気を吸い、それを養分に花を咲かせるのだと伝え聞きます。 ですから桜の美しく咲く地は、それだけ瘴気<しょうき>が濃いのです。
 この店の通りの先、十字路の角のSヶ沼公園の桜は、今年も妖艶に咲き乱れていますね。
 此の世のものとも思えぬほど幽玄なあの情景は、現実の次元の壁を撓ませます。 花は刻々風に散るのに、薄紅に埋もれた空間では、時間さえ停まるかの錯覚に囚われるのです。

 −−桜の樹の下には屍体が埋まっている!−−。
 梶井基次郎の、この名文は、あながち突飛な空想とばかりも言えないかもしれません。 屍体−−とまでいかなくとも、何かそれに近い、怪奇で醜悪な……そう、例えば鬼の躯の一部。そんなものが埋まっていても、不思議ではない気がするのです。
 御伽草子に描かれるような、牙を剥いた恐ろしい鬼の正体には、諸説ありますけれど、 喩えば、人の心に巣くう負のエレメント。 土地の気の穢れ、鬼の瘴気というのは、そんなふうなものではないでしょうか……、そんな気がするのです。

 あの憂鬱な春の訪れる故郷を捨ててから、どれだけの歳月が流れたでしょう。
 麗らかに晴れた春の日、私は一つの大きな穢れを遺し、己の罪に怯え戦きながら、彼の地から逃げたのでした。
 今頃、そこには大輪の桜が、狂ったように咲き乱れているかもしれません。

 あなたと出逢ったのは、それからずっと後のことでした。
 だけどあの頃のように、あなたはもう、その脚で私と桜の下を歩いては下さらない。
 けれども、只こうして傍に居られる。それだけで、この一瞬が、私には奇跡のように、切なく、愛しく思えるのです。
 私はあなたの座る椅子を押して、今年もまた、桜並木の下を歩きましょう。

 嗚呼、けれど。
 こうして桜を眺める度、一つ、また一つ、私ばかりが歳を重ねる。そうして、やがていつかは、あなたを置いてゆくのです。
 季節が巡る度、焦燥は募り、桜の樹の下、錆びた鬼の爪が胸を掻き乱します。
 あと幾度、私はあなたの隣で桜を仰げることでしょう。


A.

   B.







手 紙







 H主人の視界は、現実と空想の境界が曖昧だ。
 その為、ぼくは主人の空想に紛れ、自由に動くことも、喋ることも、食事を摂ることも出来る。
「やあ、兎君。今日は君の好きな木苺を持って来たよ」
 ぷつぷつと、果汁を孕んだ粒が球状に連なる、紅色の実。それを盛った小さな篭を揺らして、年若い主人は、満足げに笑った。
 そうして、レジ台に置いた篭の実とぼくを繁々と眺めていたが、その眼の焦点は、次第に朧になり、また別の世界へ移行していく。
 やがて、主人は徐に抽出しを探ると、中から用箋とペンを取り出した。
 そうして暫く、またうわの空で筆を遊ばせていたが、添えた指先の空白に、やがて青いインクが滲んだ。




 今朝から天候が優れず、今、窓の外は雨です。
 しとしと、静かに降る雨の音と、店内には、いつの間にか低く流れているピアノ−−(これは確か、ショパンの曲)。 柔らかに屋根を打つ雨音と、ピアノの音が溶け合って、何だか気怠い……けれども優しい、コーラスの様です。
 雨の所為か、お客は一人もなく、店で飼っている兎が脇で苺を齧るのを見ながら、僕は君に手紙を書き始めたところです。

 ねえ、君。やっと書き出すことの出来たこれは、僕から君への、きっと最後の手紙になります。
 聡明な君は、近い未来、何れこうなることを、きっと知っていましたね。 けれど、どんな場所にもいつか訪れる別離というものが、君と僕との間にも、やっぱりこうして、当り前のようにやって来たことが、今は何故か、不思議に思えてなりません。

 ほんの少し前まで、僕達は、小さな函の中で溶け合っていました。 そこは僕達の、小さな楽園でした。
 けれど、事態はあまりに急速に推移して、いつの間にか、僕達は厚い硝子に隔てられ、互いの意思の疎通さえ、困難になっていました。
 今、君の顔は硝子越しに、ひどくぼんやりと、霞んでいます。
 君は確かに其処に居るのに、何故か、とても遠くて、僕の心は、どんどん暗く、虚ろになります。
 そうして、とうとう、君と繋がっていた筈の糸は切れ、僕という人間は、君にとって、必要な存在ではなくなってしまいました。

 僕達が共有した時間は、長いものではありませんでした。
 けれど、君と過したあの一つ一つの瞬間が、僕には、まるで永遠も同じなのです。
 だから、この手紙を書き終えたら、君との思い出は、全部、綺麗に切り取って、固い箱に詰めて、鍵をして、帰ったら、押し入れの一番奥へ、仕舞ってしまうつもりです。鍵は、特別に鉄を好んで食べるという、近所の動物園の山羊にあげてしまいます。
 そうして僕は、君の存在を、白痴の様に忘れてしまう。
 けれど、寂しくはないし、悲しくもありません。 それどころか、正直に告白するなら、実はもう、随分前から、こうなることを待ち詫びてさえいたのです。 さよならして、忘れてしまえば、遠くなるばかりの君との距離に、もう、怯えることもなくなるからです。
 僕はきっと、酷く臆病で、卑怯な人間です。

 だけど、いつだったか、君は微笑んで言いましたね。
 −−別れがあるから、出逢いがあるのでしょう?−−
 本当に、君の言う通りです。その言葉は、間違えようのない真実でした。
 そう、もう一度、僕達が出逢う為には、今、完璧なさよならが必要なのです。
 だから、これから別々の出逢いへ向かうだろう僕達は、次の世界では、お互いに、まるで初めて出逢う者同士のように、笑って、きっとまた逢えるでしょう。
 そして、それはきっと、この手紙を投函し終えて、雨の止む前に、僕が君を忘れるのと引き換えの来世です。


B.

   C.







H主人の手記 − エンゼルフィッシュの夢







 例えば、遠く離れ、永らく逢ってさえいない君を想うだけで、悲しみが溢れ、止まらなくなるのも、 君がある曲に夢中で耳を傾ける時、僕の頭に、ふと同じ曲が浮かぶのも、君と僕の意識の一部が、何処かで繋がっているからです。
 偶然ではない意識の同調を、シンクロニシティというのだと、いつか知人が教えてくれました。 またそれは、多く一卵性双生児に起こる事象であるとも、彼は言っていました。
 僕達は、双子でもなければ、まして血縁でもありません。
 なのにどうしてか僕は、君のことが、まるで自分の半身ででもあるかのように思えてならないのです。
 けれど、それも無理ないことかもしれません。 血を分けた親兄弟なんかより、僕達は、よっぽど、こんなにも似ています。
 神様にだって、僕は誓える気がします。これほど深く君を理解している人間は、きっと僕の他には居ないと。
 真摯な顔で語る話の中身が、半分は嘘なことも、外面では、そんな自分を特別嫌ってはいないことも。 なのに、その黒い双眸には、悲壮な決意と、暗い孤独を飼っていることも。 君が決して口には出さないこと、僕は何でも、全部、知っているのです。

 さっきからキリキリする心臓は、君の痛みに感染した所為。
 深夜、よく不安で眠れなくなるのも、君の繊細な神経が伝播する所為。
 僕の体は、どんな遠い場所からも、君に感応し、君の感情がそのまま流れ込んで来る−−まるでアンテナのように出来ているのです。
 そしてこんなふうに、眼に見えないエーテルを媒介に僕達の意識が繋がっているのは、僕達二人の本質が、とても似ているから。

 君はいつも、世界を悲観します。
 その所為で、僕は、いつも君の分まで余計に悲しく、肺の中に溜る、君の青白い吐息で、時々、涙が止まらなくなるのです。
 そして涙で滲んだ壁の絵からは、また水が溢れて、それは大きな涙滴となり−− その中で泳ぐのは、銀白色に黒い筋のエンゼルフィッシュ。

 淡水魚は、その後、青い液体から抜け出しました。
 けれど、宙に潜ることが出来ず、じきリノリウムの床に墜ちました。
 呼吸が出来ずもがく魚を、水中へ戻そうと、僕は慌てて掬いにかかります。 けれども、それはまるで空気みたいに手応えがなく、何度やっても、捕まえることも、触れることも出来ないのでした。
 僕はただ、床の上で身を捩る魚を見つめていました。
 床の魚は、次第に動きを小さくして、やがて静かに呼吸を止めました。


C.

   D.







螺 旋







 D主人の背格好は、S主人とよく似ている。
 アシンメトリに左眼にかかる前髪と、黒縁の眼鏡とが、判別の簡易材料、S主人との記号的差異である。
 遺伝生物学の書物に眼を通していたD主人は、書架からまた別の書籍を抜き取ると、 深々と椅子に沈み込んでいるM-02に寄り添った。
 そうして頁を繰りながら、絵本を読み聞かせるように語り始めた。
 

 時たま僕の出入りする温室にも、真鍮製の螺旋階段がありましてね。それは二階の天井から吊るされているので、昇降の際、硝子の室内に、錆びたブランコのような軋みを立てて揺れるんです。
 そして規則的な渦を描く螺旋を眺めていると、そのうち、それがまるで、呼吸をする生物のように思えてくるんです。
 螺旋の造形は、無機的であると同時に有機的。視点をスイッチすると、まるでネガとポジが反転する騙し絵のように、相反する二つの要素が混在しているのです。
 これは、世界中の螺旋階段を収めた写真集です。どの頁の写真も素敵ですけれど、僕がとりわけ魅了されるのは、ほら、いつも決まって、この頁です。大きなホールに設えた、幅の広い、石造りの螺旋階段。
 階段の最上部から下を見下ろすこの写真の構図は、見る者の視線が、必ず手前から中央−−つまり、螺旋の終点から起点へ向かって墜ちて行くようにできています。
 その為、視線の落下に伴う身体の墜落感が惹起され、浮遊感と眩暈に重なるのは、甘美なユータナジーの幻想−−。

 嗚呼、けれど貴方には、こんなこと、きっと嫌な事件を思い出させてしまうだけですね。
 貴方の左眼は、右眼を忠実に模した硝子玉。それは光に透かさなくては判らぬほど微かな紫色の虹彩まで、そっくり同じ、模造品。ですから、こうして眺めていると、一体どちらがより綺麗な眼玉だろう?−−などと、ついつい交互に見比べずにはいられないのです。けれども、こうしてまじまじと覗いて見れば見る程、その判断は困難になるばかり。
 只、右と左の眼には、一つ、ミクロの次元で大きく違う点があります。 それは、左眼には無い、右眼に潜む二重螺旋−−四つの塩基記号から成る、遺伝子の糸。
 その配列によるプログラムで身体細胞を形成する遺伝子は、我々生物の支配者的存在です。 遺伝子プログラムが形成する我々の脳髄。これなくしては、我々は思考や感情を持たない、ロボットも同然です。 かの生物学者は、我々を遺伝子の生存機械であると形容したほど。
 只、貴方の場合、この頭蓋の中に有るのは、脳の形状をした擬似脳−−所謂、人工知能です。 この人工知能は、天然の脳髄とは異なり、ごく簡素なプログラム脳です。 しかし、些か不可解なことに、貴方には、本来そこにプログラムされた以上の情動の変化が認められ、またリセットした筈の記憶までが、不完全ながらも残存している…… 一体これは、どういうことでしょう?
 おそらく、それは唯一貴方の右眼に残された遺伝子細胞の仕業であるとしか、今の僕には考え及ばないのです。 臓器移植による記憶転移の例もあるくらいですから、細胞そのものに記憶の機能が備わっていると仮定したとて、さほど不自然もないでしょう。 ええ、勿論、それが立証できれば、遺伝生物学的見地からの輪廻転生の説明だって可能でしょうとも。
 ……嗚呼、けれども、残念。あともう少しで、交代の時間が来てしまいます。ですから、このお話の続きは、また明日。
 あぁ、あぁ(欠伸)。さて、今日もお疲れ様。僕はお先に失礼しますよ。貴方も今夜は、もうそろそろ、おやすみなさい。
 さあ、眸を閉じて。

[暗転]


 眼の前には、二つの扉があります。どちらの扉の奥にも、地下へ続く螺旋階段が、闇の中に白く浮かんでいます。
 けれども、右の階段を降りれば、そこには必ず、誰かしら居るのです。 その部屋の住人に用件でもない限り、まず僕は、右の扉を開けることはないでしょう。 他人と退屈に過ごす無為な時間ほど、我慢ならないものはないのです。
 さあ、ですから、やはり今夜も、左の扉を開けましょう。

 螺旋を下降する。
 闇を旋回しながら、眼を閉じて微笑う。
 僕は無限の闇を落下します。


D.

   E.







眠り男







 階段を下り、仄暗い廊下の奥処の一室を開けると、其処には眠り男が眠っています。
 眠り男は一年の大半、一日の殆どの時間を、この地下室のベッドで眠って過ごします。 けれども、眠り男が眠り男になったのには理由がありましたし、眠りながらのべつ夢を視るので、べつだん退屈することはないようでした。
 理由というのは、ある一人の人物を永年の眠りに置く為で、それが眠り男の仕事なのでした。 彼はある一人の人物の「揺籠」になったのでした。
 そしてそれが、彼の存在理由の殆どすべて。
 僅か残る眠り男のもう一つの役割は、精神科学のグロッサリー。

 さて、今日は眠り男から Narcissism に関する項目を聞き出すことが出来ました。
 僕はかねて疑問に思っていたのです。 「自分を愛せない者は他人も愛せない」などという、あのもっともらしいアフォリズムについて。
 けれども眠り男の口述によれば、それはやはり、必ずしも真実ではないらしいのです。
 眠りながら眠り男の言うには−−「自己愛から他者愛へ段階的に発達すると考えたフロイトに対し、 コフートは両者は別途に発達するとした。」
 自身にはこれ以上ない程の愛着があるのに、他人に心底の関心を持てない。 また他人には献身的に尽くすけれども、自己への尊厳が決定的に足りない。 よくよく観察してみると、こんな具合に著しく偏った傾向の人間が、案外と近くに居るものです。 何を隠しましょう、かくいう僕もその一人なのです(無論、前者ですとも)。
 更にカーンバーグによれば、僕のような過度の自己愛は、病的、かつ悪性の其れだと言います。 何だか、見ず知らずの相手から、出逢い頭に無礼な挨拶でもされた気分です。 しかし健全でないと言われれば、その通りでしょう。 自他共に認めるディレッタントの僕の嗜癖は、病気も気違いも大差ないところでしょうから、その点に限って言えば、 特に依存はないのでした。

 元来、ヒトは誰しも本能的な自己愛を持っています。 「利己的な遺伝子」とも換言できる生存本能に直結したそれは、ごく健全なナルシシズムです。 一見ネガティヴな自己嫌悪という感情にしろ、裏を返せば、その正体は自己愛なのです。 嫌悪の裏には、自身をより高次の存在たらしめたいという自己への執着があります。 理想と現実との落差から引き起こされる、落胆や葛藤。 これが自己嫌悪という名の、傷ついた自己愛の正体なのです。
 然るに、嗚呼。僕には度々自己嫌悪を露にする幾人かの知人があるのですが、変形のナルシシズムとも知らず、自己嫌悪に耽溺する、彼らの無知蒙昧ときたら。 そんな彼らの様子を眼の当りにするにつけ、却って僕のほうが、羞恥の余り全身蒸気になる様で、いっそそのまま、蒸発して消えてしまいたくさえなるのでした。

 さておき。もしも自己嫌悪すら感じないほど自己愛が不足しているという、そんな貴方には、特別に秘密の霊薬を得る方法をご紹介いたしましょう。
 それは暫くの間、毎晩欠かさずに月光浴を続けるという、一見何でもない秘術です。 しかし僕の観察と検証では、月は自己愛の象徴ですから、月光浴は何と言っても効果絶大なのです。
 ただし、これには簡単な決り事があります。 第一に、必ず満ちていく月の光を用いること。 そして第二に、必ず独りきりで行うこと。
 そうして幾晩か後、月が完全に満ちたなら、必ず最後の仕上げに、墜ちて来る満月のエキスを数滴、咽に垂らすのを忘れないこと。


E.

   F.







ドッペルゲンゲル考







 花火を観に、夏祭りへ出掛けた夜のことでした。
 宵の口、薄ぼんやりと灯る夜店の提灯と人出で賑わう通りを抜けると、丁度頃合良く始まった花火が、河川敷の堤防から上がるのが見えました。
 太鼓に似た音を響かせて、眼の前の虚空に、ぱっと拡がっては散ってゆく色彩。 三、四、五発−−と連続する音。折り重なって繰り出される、毒々しいほど華美な球形透視図。
 煌めきながら夜空に消えてゆく幾筋もの閃光が眼に降り注ぎ、それは思いがけず胸の琴線を掠めました。 ふと、自分が広大な宇宙の藻屑にでもなってしまったかの様な、どこか心許ない、感傷に似たノスタルジーが喚起されたのでした。
 放射状の光の筋の中央に捉えられ、超光速で膨張していく宇宙の直中に置き去られる−− そんな幻視<ヴィジョン>に、胸は途方もない寂寥感と眩暈に侵食されるのでした。
 嗚呼、肉体が朽ちてしまったら、私のちっぽけな魂は、こんなふうに永遠に宇宙に浮遊するか、 光も何も届かない、遥かな彼方へ吸い込まれてゆくかするのでしょう……。
 そんな感傷に浸っている間に、しかし思いのほかあっさりと花火の催しは終演してしまいました。 気付けばすっかり暮れた空の端に十三夜の月が浮かび、抜けて来た通りの方角からは、幽かに懐古的なお囃子の音が響いてきます。
 束の間の幻想から覚め、踵を返した、その時でした。 帰路につく人々の往来の中に、ふと、よく見知った人の横顔を見たのです。 けれども、妙でした。彼−−その人物は、まさかそんな所に居よう筈のない人なのでした。 吸い寄せられるように、私の眼は彼の姿を追いました。 しかしその姿はじき雑踏に呑み込まれ、後はいくら眼を凝らしても、面影はもう何処にも見当らないのでした。 私は暫く、呆然とその場に佇んでいたように思います。 けれども、その内はたと閃き、思い当りました。 あれはきっと、コピー・ロボットに違いないと。

 店の片隅にひっそりと鎮座するのは、旧式カメラに似た、箱型の複製装置。 それは電子工学の知識、技術を駆使して苦心の末に完成させた、私の発明品なのでした。 そう、あの祭りの夜に見掛けたのは、この箱から出て来た、彼の複製ではなかったでしょうか?
 微調整にはちょっとしたコツが要るものの、操作は割合に簡単で、少しばかり機械に慣れた人間であれば、難無く扱える仕様なのです。
 先ずは正面のレンズから対象の立体像を取り込み、次に対象のデータと生成する個数量を入力し、開始ボタンを押す。 そうしますと、およそ十時間後には、何体でも入力した個数分のコピーが出来上がっているのです。
 一個の対象から複数体を生成するのは、ホログラフィの原理応用によるもので、 ホログラフのフィルムというのは、何分割しても、各々のフィルム片から全て元の全体像が復元出来るのです。 そうして出来上がったコピーは、入力したデータの分量だけ対象と近似し、同様に会話もこなします。 また体細胞から生成する通常のクローンとは異なり、マテリアルがケミカルのコピーであれば、 前世紀から物議を醸している倫理的問題もごく僅か。 そうして不要になれば処分してしまえるのですから、再生利用も可能なこの発明は、我ながら傑作と自負しています。
 但し、コピーの逃亡、独立、それから第三者による不正な複製行為には、大いに注意が必要です。 怠れば何れ面倒が起こり、収拾不能な事態に陥ることでしょう。

 幽界との境界が揺らぐ、夏の夜。
 縁日で擦れ違う懐かしい面影は、きっと帰って来た彼の人の御霊。
 けれども、眼にしたのがもしも自分と瓜二つの人間なら、それは世に言うドッペルゲンゲル。
「何れ冥土の近い徴でしょう」
「矢張り、そうでしょうか」
 いいえ、其れはやっぱり、唯物式のコピー・ロボットに違いないのです。


F.

   G.







中 毒







 風邪をひいたわけでも、怖い目に遭ったわけでも、まして笑いを堪えているのでもないのに、只、中毒患者のように、躰は力無く震えるのでした。
 時々、こんな自分が、まるで本当の廃人の様に思われて、ひどく気が滅入ります。 知らぬ間に、何か如何わしい魔法の粉や液体にでも冒されていはしまいかと、心当たりもないのに、疑念が湧いて涸れないのでした。
 症状が昂じれば、嘔吐を催し、苦しいやら、情けないやら……涙が滲んで、自己嫌悪にまた嘔吐を繰り返す。 いっそもう、こんな身体、棄ててしまえたなら楽なのに。
 嗚呼、けれども−−これはあの人と同じ病を持つ躰。
 そう思うことで、せめて救われる。 そんな時、唇の端が自嘲に歪むのを、決まって鏡の自分が見ているのでした。

 控えめなものではありましたが、それでもあの人は、私に親しみと信頼を寄せてくれたのです。 けれども、それはあの人に取入ろうと作為した、虚像の私なのでした。 慕われたのは、偽者の私だったのです。
 あの人の希望に適うだろう役を演じながら、何時しかそれを見破られ、今にも自分の詰まらない実像に勘付かれはしまいかと、平静を装った皮膚の下で、ちくちくと針の様な不安が、絶えず額や胸の辺りを刺すのでした。
 何の虚飾もない、素地のままの人間を、一体誰が好んで慕うでしょう。 それとも、あの人は、もう私の欺瞞に、とっくに勘付いているでしょうか?  嗚呼、だとしたら、私はきっと、気が狂れてしまうに違いない。
 何もかもすっかり知りながら、黙って傍に座って居るあの人の心は、一体、どんなに果てなく遠い場所に在ることでしょう。 たとい知らずにいるにしろ、やはりその距離の遼遠なことに変わりはなく−−、それを思うと、眼の前のあの人が、まるで見知らぬ他人のように思われて、すっかり空恐ろしくなってしまうのでした。
 嗚呼、人の心は深淵のように得体の知れない、恐ろしいものだ。
 しかしだからこそ、私はあの人に眼を留めたのです。 根幹で他人を恐れている自分が、こんな過分な感情を持ったのは、あの人が、どこか旧い友人と似ていた所為もあったでしょうか……けれども、本当はやはり、あの人の身体が、完全な生命ではないという事実−−それが最たる理由だったのです。

 まあ、よく出来たお人形ですこと。
 ええ、まるで本物の人間のよう。
 二度目の蘇生以来、言葉と表情を失くしたあの人を見て、申し合わせたように人々は言うのでした。
 けれど、他の誰に判らなくとも、私には、はっきりと、あの人の微かな表情の変化が診てとれるのです。 窓越しに差し込む光の加減で、不思議に翳ったり透き徹ったりする、どこか哀しい色をした、仕掛け絵のような双眸。
 けれども、硬質なその光沢の表面に、あの人が私を映して下さることは、きっともう、ないのです。 それも当然でした。私には、そんな資格もないのです。 あの人の意志を冷酷に蹂躙して得た、それが私の報酬と代価なのでした。
 嗚呼、けれども−−、私は寧ろ、生涯、あの人から無言の蔑みを受けていたいとさえ思うのです。 そうでもなければ、このまま、本当に私は、きっと駄目になってしまうことでしょう。
 たとえばそう、世界から切り離され、力尽きて、サキュバスの灰色の胃に呑込まれ てしまう、薄弱な獏の様に。

 指先の震えは止まらず、込み上げる不快感に、冷たい汗が顳かみを伝います。
 薬を噛まなくては。
 転がった瓶に、まだ少し、残っています。


G.

   H.







フラクタル







 原子構造モデルと、太陽系。リアス式海岸の部分拡大図と、俯瞰図。 風の音、川のせせらぎ、生物の心拍−−これら1/ f揺らぎの波形。 その他、遺伝子情報、ホログラフィ、共時性−−等々。
 大まかに列挙しました、これらの共通ファクターは何かと言いますと、それは「フラクタル」です。
 フラクタルとは、全体の情報がその一部分に織り込まれている「自己相似」の状態、謂わばマトリョーシカの様な入れ子構造を表す幾何学のロゴスで−−詰まり、フラクタルになっているものは、その部分的データから全体像を読み取ることが可能なのです。
 例えば、我々が日々接している時間や勘定といった数の概念もまた、見事に美しいフラクタルで構築されています。天体の運動から物質の分子に至るまで、全ては数値化が可能であり、数の構造はフラクタルです。
 我々の存在するこの世界の構造は、遍くフラクタルと言っても過言ではなく、そうしてそれは、取りも直さず、宇宙の構造そのものなのでした。
 まるでそれは、夢の中の夢、そのまた夢の夢を覗き見る様な、合せ鏡の無限世界。 幾重にも重なり、また同時に解体した−−眩めく様な、それはきっと、恒久の法則なのです。
 幼き日の遊園地、一人迷い込んだ鏡の迷宮での−−確かミラーハウスと銘打たれたものでしたか−−あの、自己が分裂し、自我の崩壊を招く感覚が、幽かに思い起こされるのでした。
 そうして、自身もまた、この完全なる法則の下に支配された存在なのだ−−と、そんな思いに囚われては、閉息感に息が詰まる様で、すると、心なしか食欲も失せ……テェブルを前に、私はぼんやりと、スプーンの先から滴る雫と、皿に拡がっては消えてゆく、雫の波紋を、只じっと見つめるのでした。


 ふと、エントランスの鈴が鳴りました。
 しかし、残念ながら、それは来店客ではありませんでした。
「『 Gさん−−あの方は、そんな剣呑な事柄に関しては詳しくてらっしゃる様ですけれど、其れを御自分で試すようなことは、きっと、ないのでしょう。
 あのやうな人は、態々そんなことをしなくとも、仕合わせなことが、それは沢山、あるのでしょうから−−』
(前章より、一部抜粋)」
 交代の時刻はまだ先でしたが、時たま、気紛れに早々出勤して来るD氏でした。
 私は困惑を浮かべ、言いました。
「勝手に記録を編集されては、困ります」
 けれどもD氏は、飄然として取り合わず、
「いえ、せっかく早くに来たものですから。少しばかり、僕も顔を出しておこうかと思いましてね。
 それより、貴方はまた、自分と比べてG氏は随分と気楽で結構なことだとでも、考えていたのでしょう」
「……いいえ、そんなことは」
 そう、否定をしたのものの、実のところが、その通りだったものですから、思わず笑みを繕っては、誤魔化し……。


 さて、何でしたか……ええ、そう、そのフラクタルですが。実を申しますと、この店内にも、とっておきの例があるのです。レジカウンターの中で、雑然とした書架に紛れて在る、織り布の一冊。この本が、それなのです。
 表紙には、『エキス』の題名。著者は、「黒兎」とあります。
 内容はと言いますと、とある骨董店の主人達の様子や彼らの手記を、店の商品であるところの黒兎のヌイグルミが編集した−−という設定で書かれた、小説の様な、随筆の様な……一話毎の読切りで、どの頁から読んでも、差支えのない仕様になっているようです。
 そして、その舞台や登場人物、挿話などですが、これがどうやら、私達のこの現実世界に則したものらしく−−この様なフラクタルの構成は、あたかも夢野久作の『ドグラ・マグラ』を模したかに思えます。
 『ドグラ・マグラ』は、時間的、空間的フラクタルが全編に織り込まれた、正に宇宙の構造そのものといった小説なのですが……しかし、かといって、私達のこの物語のカラクリや、真意もまた、その辺りに有るのか、無いのか、それはどうとも、判らないのですが−−。

 ふん、とD氏が低く鼻を鳴らしました。
「それにしても、書き手が生きた兎というならまだしも、ヌイグルミとは、如何にも胡乱<うろん>じゃありませんか。
如何にも突飛で、非科学的、非現実的な。
仮にそんな事があるとしたら、そのヌイグルミ……否、あれを是非とも解剖してみなくては−−」
 そう言って、D氏は棚に座っている兎を一瞥しました。
 その時、黒兎のヌイグルミが、毛衣の奥で冷汗でも流したのか、どうだか、私に窺い知ることはできませんでした。
 そうしてふと、悪戯な笑みを浮かべたD氏は、私の手から本を取り上げると、
「どれ、何処から読んでもいいのなら、最後の章から見たって、構わないのでしょう」
 頁を開くなり、淡々と読み上げるのでした。
「『オリジナル』なんて、何一つ存在しない。しかし、存在しないということは、即ち−−」
 先刻、私はその本を、最初の頁から読み始めたばかりだったのです。


H.

   I.







オートマータ







 斜陽の射す、月曜日の午後。
 長い巻き毛をリボンで束ねた少女の来店。

 いらっしゃいませ、お嬢様。
 お久し振りですね。

 空気的な微笑で、接客に当るS主人。

 嗚呼、そう云えば、先日入荷したばかりのエジプトの香水壜が、こちらに。
 これが中々に、素敵でしてね−−。

 色とりどりの小さな香水壜を手にし、瞳を輝かせる少女。
 主人は、眩しげに眼を細め、少女の様子と、その装いに眼を凝らす。

 本日は、また、とても可愛らしいお召し物でいらっしゃいますね。
 まるで、そう−−天使の様な。

 純白の地に、象牙色の繊細なレェスを贅沢に重ねた、薄いクレープの様なワンピース。
 サテンの様な光沢の、灰がかった細い髪は、金色に産毛が光る耳の上に、共布のレェスで結われている。

 −−そうですか、お母様と、お揃いで。
 とても、よく、お似合いですよ。

 俄かに、少女の眸が曇る。
 然し視線は棚の上に走らせたまま、また別の小壜を手に取ると、光に透かしては、仔細に眺め−−、

 そうかしら? こんな、ドレスみたいな洋服、私はちっとも嬉しくないのに。
 私の着られるものは、こんなお人形みたいな洋服ばかり。
 いつだって、パパとママの選ぶものしか、着られないんだもの。

 おや、それはまた……そうでしたか。

 主人はいくぶん、大袈裟に肯いてみせると、

 ですが、それでは−−
 もしもご自分で選ぶとしたら、お嬢様は、本当はどんなお洋服を着てみたいのですか?

 少し困った顔で、少女は主人を見遣り、
 そう言われると、よくわからないけれど……。
 とにかく、自分の恰好くらい、自分で決めて、好きな様に着てみたい−−それだけだわ。
 それに、この恰好は自分とはまるでちぐはぐで、何だか落ち着かなくて……いくら贅沢な物だって、せっかく着ても、ちっと もいい気分じゃないのよ。
 実際の私は、お人形でも、天使でも、何でもないんだもの。

 すっと、硝子を透過した陽が、少女の眼に、冷たい光を反射させる。

 両親は、きっと私のこと、着せ替え人形くらいにしか、思っていないんでしょうね。

 まさか、そんなことは、ありませんでしょう。

 そうかしら? −−いいえ、あり得る話だわ。
 だって、ママは自分のこと、自動人形だって、言っているくらいだから。

 自動人形、ですか。

 そうよ。
 ママは、自動人形なんですって。

 主人は、少女の云わんとすることを、今一度確かめた。
 −−そうしますと、貴女のお父様は、ご結婚の際、お人形をご自分の花嫁になさった、ということなのでしょうか?

 いいえ、そうじゃあ、なくて。
 パパは、ママのこと、ちゃんと生きた人間だと思っているのよ。

 それは−−詰まり、お母様は、お人形なのでしょうか。
 それとも、お人形ではないのでしょうか?

 さあ−−。そこが、私にも、よく判らないのよ。
 只、ママは口癖みたいに決まった言葉ばかり繰り返すし、食卓についても、実際に何か物を食べているところは、見たことが ないの。
 だから、もしかすると、ママは本当に人形なのかもしれない……そう思って、パパに訊いてみたことは、あったわ。

 ええ……、そうしましたら?

 パパは、馬鹿なことを、って。
 ママはどこから見たって、皆と同じ、普通の人間じゃないか、って。
 ママは可愛いお人形が大好きだから、自分も人形の様になりたいばっかりに、そんな振舞いをしているだけなんだよ−−、で すって。
 だから、一体どっちの言っていることが本当なのか、私にも、よく判らないのよ。

 なるほど、左様ですか。
 ……けれども、正直なところ、貴女の眼には、お母様は、どの様に映っているのでしょうか。

 −−そりゃ、とてもママは、人形なんかには見えないわ。
 それくらい、何所も見た目に不自然なところなんて、ないもの。
 だけど……普段は服の下に隠れているところに、もしかしたら、球体関節があるのかもしれない。

 なるほど。高価な代物ですと、関節なんて、見ても判らないくらい、精巧に出来ていると聞きますしね。
 瞬きだって、それは自然なものだそうで。

 ええ−−、そう考えると、やっぱりどっちが真実かなんて、判りやしないわ。
 人間だと思えば、そう見えるし、人形だと思えば、やっぱりそう見えてしまうのよ。


 −−阿、と少女は小さな声をあげた。

 この壜、うっすら、残り香がするみたい、いくつか混ざって−−。
 エジプトの街って、どんな土地なのかしら……。

 鼻先から小壜を離すと、西日に翳し、片眼で壜の底を覗き込む。
 そうしてまた、別の色の壜を手に取っては−−、

 でもね、よく考えてみれば、それで別段、どう困るという訳でもないのよ。
 只、時々−−ゼンマイの切れたオルゴールみたいに、急に動かなくなってしまうことがあってね−−ええ、そう。
 それだけが、ママと一緒に居て、外へ出掛ける時なんかには、一番の厄介事なのだわ。
I.
 
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